日々適当に書いていく予定は未定

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渋谷まで出たので、雨の中東横線沿いにあるさかえ湯まで行ってきた
歩くこと10分弱、並木橋をくぐると古いマンションの銭湯がありました
ちなみにJR渋谷駅新南口からなら5分かからないと思います

中に入ると、コインランドリーが置かれ、その奥に銭湯の出入り口

大きさの割りに高い番台の女将さんにスタンプをもらって入浴
場所柄か、タトゥー入った若い兄ちゃんもいましたな

浴槽は、ジェットバス付きの浅槽とバイブラ付きの深槽の2つ
お湯の温度はそれほど高くないので、ゆっくりと入れます

バスタオル貸し出しってのは、銭湯巡りにとってはありがたかった

渋谷 さかえ湯
東京都渋谷区東1-31-19 営業時間 15:30~24:45
定休日 金曜

銭湯お遍路48番札所達成
2011.11.19 / Top↑
このところあまり愛車に乗れていなかったことと
土日の天気が悪いので、夜走りに出かけた

この間行った団子坂を上ってみたかったのでまず千駄木へ
坂の上の観音通りも散歩スポットになってるんですかね?

そのまま抜けると白山にでたので蓮華寺坂を上って小石川植物園を周って大塚へ出る
大塚から池袋に出ようとしたが、つい池袋本町の方に行ってしまった(笑)
池袋も繁華街を離れるとひっそりとしてるもんである

池袋→雑司が谷→高田馬場→新宿と周った所でどっかで休憩するかと思ったが
10時半も過ぎるとなかなか手ごろな場所が無いもので

そのまま信濃町に出るが、ここはやっぱり雰囲気が独特だわな
そのまま青山から赤坂出ればどっかあるかと思っていたが
結局マックになるんだよな、夜走りで休憩しようとすると(笑)
なお、向かいから見えるHOOTERSはこの時間でも行列してました

赤坂から新橋を抜けて月島へと進むが
この辺はサラリーマンが多い場所柄、タクシーの列もすごい
ただ、2列駐車って危ないよな、やっぱこの辺は避けた方がいいな

月島から佃に出たが、ここは佃島と中央大橋沿いでは別世界である
門仲から明治通りに出たところで、何となく砂町銀座をと通ってみた
うむ、ここは日中は自転車で来るとこじゃないなww

丸八通りから亀戸を抜けて蔵前橋通りから帰宅したが
さすがにこの辺で、上りで足が回らなくなってきてたな
とりあえず、目標の50kmは走破できました


【ボヤキ】
夜中に車道逆走で携帯かけながら運転してる輩もまだまだいますが
ロード乗ってそれやってる奴を見ると
ママチャリ以上にコラコラ問答しかけたくなる気分が湧いてきますな
2011.11.19 / Top↑
第3シリーズ始まっていたのね
今週のブラタモリは上野動物園の後編

熊の冬眠施設とか

園内に藤堂家の墓所(普段は立ち入り禁止)があったりとか
初めて知ることばかりだったが

特筆すべきは子供動物園に今ではすっかり希少種となった
馬・牛・山羊・豚・鶏の在来種が飼育されていたこと

パンダばかり取り上げてないで、こういったもっと貴重な在来種がいることも取り上げろ
というタモリの意見も最もだと思う

昭和11年の黒豹脱走事件(2・26事件や阿部定事件と並ぶ事件だったらしい)に
これが本当の江戸の黒豹とツィートしたら
同じことを考えた人間が後3人いたよ(笑)

次回は荒川ってことなので、面白そうなもんがあったら愛車で行ってみるかも知れない
2011.11.18 / Top↑
秋葉原の武器屋の向かいの建物の
二階にある活力屋で昼食

えび塩そばにしてみたが
えび風味の鶏塩スープって感じで
もっとエビの風味強くても良かったかな
2011.11.13 / Top↑
俺がバトラーツを始めてみたのは1998年1月の後楽園ホール
この時は石川vsアレクがメインで、日高vs藤原組長のチャレンジマッチをやっていた
週プロで面白いと紹介されていたが
バチバチのイカレた世界にずっぽりとはまり込んで、TFMホールも通うようになった
当時、若い選手達で上を目指してやるっていうのを感じて
新生FMWと並んで応援していきたいと思った団体でした

この1998年はアレクがPRIDEでマルコ・ファスに勝ち
10月に両国国技館に進出と、団体としても絶頂期だった
また、田中稔が前半のメインって形でJrの好勝負を量産し
稔、モッチー、TAKA、田尻、日高、穣、星川といったJYBなんてのもできていた

しかし、石川雄規が猪木オマージュで顎が尖っていくのと並んで
団体がおかしな方向にも進んでいった
サイドビジネスに手を出していたようだが、その中に悪名高いモジコがあり
会場で妙な業者のアンケート用紙が置かれていたこともあった
(当時、プロレス関係でこの手のアンケート書くのは自爆行為だったので無視していた)
団体とファンとの信頼関係で成り立っていたバトラーツが、ファンを裏切り始めていた
紙プロにのせられて石川が過激な物言いしたことも火に油を注いでいた

元々、「俺たちは全員仲が悪い」といってたぐらい個性の強い集団だったが
稔が抜け、大ちゃんが抜けた辺りで、俺もバトに足を運ばなくなっていった

前期バトに致命的だったのが、2001年のZERO-ONE火祭りボイコット事件
自分達は猪木軍だと火祭り出場をボイコットした、虎の威を借る狐的行為に
俺は完全に失望して見切りをつけることになった
この件は、当時絶対的支持を持っていた三沢に非難されたことも追い討ちになった

こうして、前期バトは活動休止し、再開後、越谷でひっそりと活動していく

俺がバトラーツを再び認知することになったのは
ZERO-ONE MAXで澤宗紀ってレスラーを知ってから
最初はランジェリー武藤でのコミックマッチ要員として上がっていたが
他の団体で、澤宗紀というレスラーの面白さを知るにつれ
澤でも上げてくれないかなという思いが強くなっていたが
澤はそれを自らファンと団体に認めさせていった

この頃、はまり出していたDDTの飯伏がバチバチやるっていうので見にいったのが
大ちゃんが主催しているフーテンプロモーション
ここで、「やっぱりバチバチは面白い」とフーテン通いが始まった

大ちゃんが、バト辞めたときぶりでアレクと試合するってことで、久々にバトに足を運ぶ
ここで感じたのが、後期バトは良くも悪くも石川雄規の世界だなと

当時はバト勢も出てたし、あの頃の自由な雰囲気もあったし
何より小野武志と大場貴弘はここでしか見られないので俺はフーテンを選んだ
それでも、澤vs恭介が組まれた時は、池田vs小野を蹴ってバトを選びましたけどね

その後、石川と大ちゃんが再び断絶し
どっちかが辞めるまで絡むことも無いかと思っていたら
昨年12月に再び復縁、そしてバトラーツの年内解散が発表された
越谷の道場が再開発で立ち退きになったことが決定的になったということ

「インディーのお仕事」で澤がバトを大きくするために動き回っていたのを見てただけに
これは無念だったろうなと思っていたが
”やりすぎ”による体のダメージと、バト解散を理由に澤も引退を発表

そして、最終興行では元所属選手が集結してのバトラーツメモリアルが行われ
澤とマナブが最後の一騎打ち
石川と大ちゃんがひたすら頭を殴り続け、団体の介錯を務め
最後の集合写真では、ノアの試合後駆けつけたヨネが、ごく自然に中に入っていた

石川は「バトラーツがいらないんだったら、こっちから時代を捨ててやる」と吐き捨て
大ちゃんは、石川雄規の世界が崩れなかったことに不完全燃焼を抱くと
相変わらずの偏執的頑固者と偏屈な頑固者の二人でしたが
この二人、お互いを灰にしない限り満足しないんだろうな、きっと

「自分にとってのバトラーツはもう終わっている」とblogで語る選手もいたので
俺にとってのバトラーツも、あの時すでに終わってたのかな、ってモヤモヤが残った

石川雄規も捨てちまったんだから、残りの4日間は
バトラーツは澤一人のものでも全然文句は無かった

ZERO1での澤の引退試合で、セコンドに矢野、吉川、竹嶋がついたこと
3カウントではなく、KOで勝負がついたこと
10カウントゴングの後の最後のリングコールをパンチさんがしたことで
俺の中で、格闘探偵団バトラーツは本当に完結した

個人的にバチバチに精神論や技術論持ち出されると
何か違うんだよなと思ってしまう自分がいる
ただハードヒッティングな試合をバチバチと捉える向きもあるが
俺はこれに生の感情が入らないと「バチバチ」とは感じないんだよな
それこそ、ぶん殴り合い、腕や足を極めながらも思わずにやけちゃうような光景

バトラーツが終わっても”バチバチ”はフーテンで続いていく
来年の団体再開目処がついたようなので、何を見せてくれるか楽しみです

最後に
野口さん皆心配してるから
早く帰ってきなさい!
2011.11.13 / Top↑
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